戦前日本のシチュー事情(2)

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明治後半には家庭雑誌にもシチューのレシピが登場

明治の終わりごろになると、主婦向けの家庭雑誌にも他の「西洋料理」と並んでシチューが登場するようになります。とはいっても、この時代の「雑誌」の位置付けは今とは大きく異なり、その読者はごくごく一部の上層かつ知的な階層に限られていたので、一般に普及したとはいえません。

年代 日本シチュー史
明治25年(1892年) 「家庭雑誌」に仏蘭西田舎料理法として牛肉のポトフのような料理レシピを紹介
明治28年(1895年) 「女鑑」に「ロールキャベーヂ」のレシピ紹介
明治34年(1901年) 「新撰和洋料理精通」に「蕪菁(かぶ)のスチウ」のレシピ紹介

100年前、宣教師婦人から習った「チッキンスチュウ」覚え書きから

1860年生まれの加藤ハルという人が、仙台に来ていた外国人宣教師夫人から習った料理の覚えを筆書きしたものがあります。ここには「チッキンスチュウ」のほかに、「羊肉(マットン)のシチウ羹(かん)」、ビーフステーキやパンケーキ、いちごのゼリーなども記録されており、この時代にすでにマットン(羊)の料理を習ったというのも驚きですが、その料理に使うスパイスが肉桂(シナモン)と胡椒という組み合わせも興味深いものです。

「チッキンスチュウ」は、まず丸ごとの鶏を材料として4時間ほどかけて作るとりのスープの製法を説明した後、
「上記スープを取りし後の肉をこまかく切り、バタ(匙半杯)をフライ鍋に入れ、玉ねぎ細(みじん)をその中に入れかきまわし、ねぎの焼けて香ばしきかおりの立ちし時、メリケン粉を入れスープ乃至(ないし)水にてもよし、加えて薄葛ほどにねり、それに前のきざみしとりを入れる。尚ハムを薄く切り、1人前2切あてくらい入れ、ほかににんじん、大根、かぶなど(茹で)入れ…」
と続く。さらにこの後3時間くらい煮てできあがりとなっています。

加藤ハルとは

加藤ハルは、かぐや姫を題材としたドラマ「なよたけ」を書いた劇作家で文学者の故加藤道夫の祖母に当たる人。

昭和のはじめには「魚のシチュー」も女性誌に登場

料理研究家の村上昭子さんが編者となっている「大正・昭和初期の家庭料理の本」は、雑誌『婦女界』が昭和6年の新年号に付録としてつけた部分「家庭惣菜料理十二ヶ月」の復刻です。

これには、惣菜向け西洋料理の知識として「魚の料理」の項に「スチュー・・味を付けて煮る料理」、「野菜の料理」の項に「味付煮込料理で、これも最も廣く行われており、材料としては色々なものが用いられます」とあります。

また「付合せに用いる野菜料理」として「野菜は、魚鳥獣料理の付合せとして、よく用いられますが、その主なものは・・(中略)魚のスチューには小粒のたまねぎを、肉類のスチューには玉葱、人参、豌豆(えんどう)等をあっさり煮て、付け合わせます。」ともあります。

結構技術を要するホワイトソースづくり

先の「魚のシチュー」は多分ホワイトソースだと思われますが、既製品のルウが登場する以前には、ホワイトソースもすべて手作りしなければなりませんでした。

魚のムニエルや付け合わせの野菜にかけるソース、マカロニグラタン、クリームコロッケ、そしてシチューのベースになるソース——、バターで“メリケン粉(小麦粉)”を焦がさないように炒めてから牛乳を加えて好みの粘度にのばしますが、ダマを作らないようにするのには結構技術が必要ですし、時間もかかります。

しかしホワイトソース(白ソース)はシチューに限らず家庭でも作れる西洋料理の基本として、戦前も昭和に入ると、都会の少し「モダン」な家庭では、かなり一般的に普及していたようです。

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